つり橋便り > 2001年 > 10月
1月

 あっという間にあと2ヶ月で今年もおしまい。なんだか今日は朝からすっきりしなくて、自宅にて1人きりで時間を過ごしました。フロントのみなさんごめんなさい。今月は中旬くらいから来月の末まで忙しい日が連続します。いろいろ暇な時期にやっておきたかったことの半分もできてませんが、人間は傾きながら生きていくのだそうでして、前に倒れるような感じで日々精進して参りましょう。案外、そのまま倒れて寝てばかりいてみんなに白い目で見られる・・・なんてことにならないようにしないとね。はふー。

2火

 念願であった、「全館電球色」計画が密やかに進行しています。蛍光灯はふつう白色ですが、この世には電球色(赤っぽい色)という蛍光管があることを京都・渡月橋の花筏の若さんに教えてもらいました。試しにフロント周りをかえてみたら雰囲気が抜群にグレードアップ!いやはや驚いた。今月の背景画像の玄関からこぼれる灯りの色をご覧下さい。白色ではこうはいきません。味気ない白っぽい感じになってしまいます。
 黄色人種は電球色の下にいる方が肌の色もきれいにみえるのだそうです。で、まだ利用できる蛍光管を交換するわけでして、奇行といえば奇行。交換した白色蛍光管は裏方で使うわけですから無駄にするわけではないのですが、「そんなことするなら、もっと他のところにお金をかけてください!」と従業員さんに言われたら困るなぁ・・・と思うと、堂々と交換ってわけにいきません。
 蛍光管を買い集めては密やかに交換中。木造本館は完了。宴会場、廊下などのパブリックも半分くらい完了。残るは渓流館客室です。いつ頃完了するかわかりませんが、確実に雰囲気はアップしている(はず)ので、悔いはありません。

3水

 独活(うど)の花が実になって、それも朽ちていきそうな夕暮れのひととき。秋がやってきました。栗拾いも終了し、今度は月末にかけて紅葉がどんな具合ですすんでいくのか心配になる季節がやってきます。あと、カメムシくんとの格闘もはじまりますね。今年は駒ノ湯山荘さんも活用しているという害虫駆除会社さんに頼んで挑もうと思います。さ、かかってこいカメムシ!

4木

 げ!なんじゃこりゃ・・・実は、蜂退治のいでたち。こういう危険な仕事は亭主(父)の仕事。夕暮れ時を狙って、蜂の巣へ突撃しました。今日はキノコ講習会もあったりして、かなりご活躍の亭主でした。蜂は撃退できました、ご安心下さい。しかし、なんとなく今年は蜂が少ない気がします。カメムシも顔をだすようになりましたが、去年にくらべると少ない感じ。トンボがものすごく多い。何が原因で昆虫たちの生態系は左右されるのか?実に興味深いテーマでありますが、なかなかわかるもんではありません。そういえば今年はアブもすくなかった。

5金


採取してきたキノコを並べて食毒の見分け方などを
説明する中林さん

 (三条新聞より)
 三条きのこの会代表の中林芳光さん(69)=下田村滝谷=を講師にキノコ講習会が開催され、キノコの採取や食べる際の注意点などを勉強しました。
 午前9時から森林公園周辺の標高200メートルから300メートルの山に入って自由にキノコ狩りをたのしみ、11時から講習会。中林さんが採取してきたキノコは毒か食用かを鑑定し、食べ方の注意点などを指導しました。
 中林さんや地元の人たちによると、今シーズンのキノコは、9月はじめの頃の出だしはよかったが、その後、好天が続きすぎたため、しめり気が少なくて、出がストップ。ここ数日の雨などで晩年のキノコが出始めてきたということで、全般的に「あまり期待しない方がいい」という。
 それでも参加者が採取してきたキノコは、50種類以上に及び、サクラシメジ、スギヒラタケ、ウラベニホテイシメジなど人気の食用キノコがそろった。一方、毒キノコでは嘔吐や下痢などの症状が出るニガクリタケをはじめ、貝殻に似ていて一見おいしそうなカイガラタケ、椎茸とまちがえそうなツキヨタケ、ウラベニホテイシメジとほとんど区別がつかないクサウラベニタケ、さらにシロテングタケ、ヘビキノコモドキなど、名前を聞いただけでも、いかにも毒キノコといったものも集まった。
 講習のあと、お昼から懇親会に移り、中林さんを囲んでキノコ談義に熱中していました。
 「長い間、つちかわれてきた食文化を大切にしてほしい。ナメコや椎茸など大量に食べられているものは別として、自分なりの判断で、それ以外の調理法では食べない方がいい」と、中林さんは昔から伝えられている食べ方を基本とすべきと指導されていました。

6土
7日
8月
9火

 亭主(父)が焼き芋に目覚めました。秋の風物詩を宿にとりいれようと、子供の頃たべたホクホクの焼き芋めざして奮闘中です。大きな瓶の底部を切り取り、底から七輪の炭火で瓶内を温め、鈎にした針金につるした芋を焼く構造。試しにやってみたら、実に旨い。ホクホクです。問題は瓶を支える部分をどうするかだそうでして、徐々に完成へ近づいていくことでしょう。そこまでくれば、後は設置場所と管理方法を考慮して、お客様に楽しんでもらえるようにするまでです。がんばれおとうちゃん。

10水
11木
12金
13土


下田村に農家ギャラリー
オーナーは手描友禅作家の恵子さん

 (三条新聞より)
 下田村滝谷地内に築150年以上の農家を改造した「ギャラリー瑞門」がオープンしました。これを記念して13日から28日まで埼玉県在住で新日本美術協会審査委員の水彩画家、田中三友さん(61)の個展を開き、連日大勢の人が訪れています。
 このギャラリーは、下田村出身で数年前まで東京でサラリーマンをしていた石月孝志さんが、90歳になる母親の介護のため新潟の営業所に転勤を願い出て故郷の下田村に戻り、今年に入って自宅を改修。昔はうまやだった部分をホームギャラリーにした。
 建坪が120坪以上という田舎の大きな農家とあって、改築には5ヶ月近くもかかり、「まだ完成ではないんです。なにしろ古い家なので終わらない。使いながら不便なところを手直ししていくしない」と言う。
 使われている材木はいいものばかりで、土台には狂いが少ないクリの木が用いられていた。完成後は不用になった土蔵の扉と土台のクリの丸太でテーブルを作るなど、使えるものは上手に残して建物と室内装飾のバランスをとった。
 母親の座敷には恵子さんの手描友禅を一点だけ展示しており、「時期を見ながら近いうちに必ず、私の作品で個展を開き、地域のみなさんに見て頂きたい。」と話している。
 ギャラリー瑞門は電話0256−46−2079

14日
15月
16火
17水


八木神社の屋根の改修作業現場

 (三条新聞より)
 八木神社は大同2年(807年)に八木守門大明神が八木ヶ鼻山頂に祭られたのが最初とされており、その後、ふもとに社殿を構え、昭和45年には閉村した吉ヶ平の雨生神社、大山祇神社、さらに昭和55年には大谷神社、大江神名社を合祭。旧森町村25集落の総鎮守として慕われている。社殿は平成9年5月1日に下田村文化財に指定された。

18木

 「リョケン」という旅館経営のコンサルタント会社がありまして、そこの顧問の先生が来館されました。平成4年に設備投資の際にはトータルプランを監理してくださった先生です。年に1回は宿の経営状態を視察しにいらして、いろいろとアドバイスをくださいます。
 さて、今回は露天風呂拡張→寝湯計画と続いて参りました風呂問題への最終的なコメントをくださいました。→貸し切り風呂です。炭焼き小屋横の空き地に低予算で貸し切り風呂を作ってはどうかというアイディア。

19金  さっそく女将は反対派の立場をとりました。「そんなのよりも木造本館の客室に水回りと、もっと充実した湯上がりスペース&ラウンジ憩いの場の拡張が重要!」という意見です。
 私としては、その先生から示唆をうけた「ここ5年位の動向を把握してみなさい」というアドバイスに基づき、今後の方向性をはっきりさせた上で判断したいと考えております。
20土
21日
22月

 これが卓球台です。日中で天候の良い時にのみプレイできます。夜間プレイも可能なように工夫する必要があるようです。

23火
24水
25木


熊をしとめた鈴木さん

猟友会のメンバーが集まり解体作業

 (三条新聞より)
 25日早朝、下田村名下地内の民家の庭を熊が歩き回っているのを地元の人が見つけ、下田村猟友会の会員に通報。駆けつけた猟友会の会員が猟銃で射殺して捕獲した。熊は体長155センチの雄のツキノワグマで、数日前から周辺に潜んでいたとみられている。
 下田村内ではことし9月以降、村内のあちこちで熊が出没しており、下田村や下田猟友会では、まだ複数の熊がいるとみて、山にはいるときは充分に注意するよう呼びかけている。
 しとめた鈴木さんが駆けつけたところ、熊は柿の木の周辺から近くの竹林の中に入り込んでいた。鈴木さんが近づいて行くと、熊は振り向いて、鈴木さんに向かってきた。そして4メートルほど手前で熊が前足を上げようとしたところを鈴木さんは猟銃で胸を打って一発で仕留めた。
 熊は全身真っ黒で、体長155センチ、体重125キロのオスでツキノワグマ。冬眠を前に食欲旺盛で、かなり食べていたとみられ、丸々と太っていた。年齢ははっきりしないが、猟友会会長の神田俊一会長は「熊は50年くらい生きるとされており、捕獲された熊は20歳前後でないかと思う」と話している。
 通常、熊などの狩猟は12月から翌年2月末にかけてだが、今回は人家の庭にでたことや、人的な被害の恐れもあることから、猟友会員が下田村と山上署に連絡したうえで緊急駆除として、猟銃で仕留めたもの。

26金
27土
28日


現代工芸も日展も初挑戦で入選の渡辺さん(右)

さりげない「椀もの」に温かさ

 (三条新聞より)
 下田村塩野渕の自宅工房で漆工芸を創作する渡辺裕之さん(31)は三条市出身で、三条高校から新潟大学教育学部に進んで美術を専攻して彫刻を学んだあと、ニューヨークに遊学。帰国後は富山県の高岡短期大学で漆工芸を学び、卒業すると金沢市内の工房で修行。3年前に三条市に戻り、自然豊かな下田村に知人の紹介で一軒家を借りて創作を開始。昨年、両親や妹とともに下田村塩野渕地内に自宅を移し、工房を構えて創作活動に打ち込んでいる。

29月

 ことの発端は新幹線での出会いでした。東京出張の際に偶然となりあわせた不思議な魅力を持つチョビ髭のご年輩。「多摩に空港を作ろうと思ってね・・・」からはじまった約1時間にわたる、その方の人生ドラマは実に心をくすぐるものでした。別れ際に宿のパンフレットを渡すと、「いつか泊まりにいくよ」とニコッとほほえんでくれました。
 で、その方が高校時代のお仲間と奥様と本日遊びにいらしてくださいました。皆様80代とは思えぬ健老ぶりです。問題のご年輩からお話を伺えば、能登にトライアスロンの全国大会を誘致した仕掛け人とのこと。「世の中は嘘からはじまるのかもね・・・」と、今夜も再び位相の異なる切り口でご教授が始まりました。
 「越後長野、、、っていうのが気になってねぇ。なんで越後で長野なんだ?どっちがまちがってるんだ?ってね。あのね、長野県の長野よりも、こっちの長野の方が歴史は古いんだろうから、『元祖・長野』温泉、長野の最初はこっちだ!と強く唱えるべきだね。田中康夫長野県知事に、もっとこちらの元祖・長野をアピールすべきです。そうすると、なんだ?なんだ?と周りが騒ぎ初めて、みんながこの温泉のことを注目するようになる。一回見に行くか!ってことになる。泊まりにくる。儲かる。宣伝費タダ。・・・だろ?ぜったい『元祖・長野』を言い張るべきです。」
 「歴史的に証明したり、調べたりしないと・・・」(私)

 「そんなの必要ないよ!そういうのは騒ぎになれば、誰かがお金をかけてやってくれるから。まず、こちらが元祖・長野だってことを強く主張すればいいんです。」

 ひさしぶりに目からウロコなお話。どこか突拍子もなくて飄々としていて、つかまえどころがないんだけど、夢がある。いっちょやってみっか♪

 「おう、おもしろそうだな。やってみようぜ!もし、何か言われたら俺が言ったってことにしなさい。任せとけ。」

 今日は実は私の誕生日だったりするのですが、頂いた色紙とともに大変うれしいプレゼントな秋の夜長でありました。

30火
31水

 

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